これまでの経緯、フェイクを添えて

長いし、面白くないし、でもまとめておいた方がいいと思うので、これまでの経緯をまとめます。
個人や法人が特定できないよう、内容や時系列には若干のフェイクがあることを御理解ください。
また、フェイクを混ぜた関係で整合性とれないところもあるかも。
そこもそっとしておいていただけると幸いです。



株式会社ポチ(仮称)は従業員数3人の零細Web制作会社。
Web系開発会社やSIerからのデザイン下請けがメインの業務。



つぶれかけたデザイン事務所からデザイナー2人を引き連れて独立、02年創業。当時のITバブルに乗って、開業当初は順調に成長。来る仕事は拒まず、二ヶ月に一度は三完徹をやるような、わかりやすいデスマーチの連続で、売上もわかりやすく増加。
04年には売上が5000万を超え、そろそろ業務拡大をしようとデザイナー見習いの一人雇う。
しかし、ちょうどそのころからMovable TypeなどのCMSが普及し始め、サイト運営費として毎月定期的に入っていた仕事が減少。
下請けだけではせっかく入れた社員の仕事がないので、オンラインショップの運営代行業を開始。これがそこそこヒットして、なんとか年商を維持。デザイナー見習いで入ったはずの社員はなぜかショップスタッフになってしまったけど、特に嫌がらずがんばってくれた。
運営代行業を本格的にやるためには撮影スペースや倉庫が必要になるので、06年に国民生活金融公庫で借金をして大きな事務所に移転。ついでにバイトも二人入れる。ところが、移転したとたんに元請けの開発会社が倒産。焦げ付きは100万弱程度ですんだけど、それまで月に50万は安定して入っていた仕事がなくなる。大きな事務所に移転して増えた家賃20万と併せて、月に70万程度のマイナス。
今になって思うと本当にバカなんだけど、その程度のマイナスはどうってことないと考え、リストラとかコストカットなんてことは全く考えず、拡大路線を突っ走る。ショップの運営代行だけでは飽きたらず、自社でもネットショップを立ち上げる。仕入資金が必要になり、初めて運転資金で借金。これかまた国金。立ち上げたショップは作った借金ほどにはぱっとせず、かといって潰すにはもったいない程度の売上。
Web制作の仕事は、潰れた開発会社の分以外でも仕事量・単価共に緩やかな右肩下がりを続けていたのだけど、デザイナーを一人切るほどではなく、またいつか回復するだろうと、ほっといても仕事が入ってきた頃の感じが抜けず、漫然と現状維持。この段階で年商は4000万ほど。決算書はギリギリ黒字。しかし、借金を返していくことを考えると、ギリギリ黒字じゃちょっと足りない。



ついつい仕事中だというのにmixiYouTubeなんぞにいそしみながら、なんとかしなきゃなと思いながらぼんやりと過ごしていた08年、対岸の火事だと思っていたサブプライム問題による不景気がWeb業界にも押し寄せる。
Web制作部門売上の半分程度を占めていた大手代理店のシステム子会社が、売上低下を理由に外注を使わない方向へ転換。もともと社内にいたデザイナーチームに派遣を入れて、できるかぎり内製化すると。内製化できない特殊な仕事は継続して受注するものの、受注量は最盛期の2割程度まで減少。
やむを得ず、ここで初めてのリストラに踏み切る。デザイナー一人を首切りするが、得意先を何軒か持って行かれ、またまた売上減少。個人でカードのキャッシングをしたり、ビジネスローンに手を出し始めたのもこの頃。
慌てて営業に回るが、新規で獲得した先は支払サイトが長かったり、支払そのものが悪かったりで、急激にキャッシュフローが悪化。08年の暮れにセーフティネット保証を使って信用金庫から借金。一時的にしのぐが、受注量は減少の一途をたどる。
09年からショップの売り上げも徐々に減り、全体で2割程度減少。Web制作部門では、得意先がまた倒産。焦げ付きは大した額ではないが、継続していた仕事はなくなり、さらに売上低下。年商はトータルで2500万程度まで悪化。赤字転落。
事業の縮小もやむなしと、さらに借金をして小さな事務所に引越し、バイトを一人首切り。
このあたりでようやく収支がとんとんになるが、毎月の返済は50万を超す。そんな状況でも、信用金庫は区の制度融資を使うと無利子で金が借りられると営業をかけてくる。もう、返済のために借金するようなものだけど、借りないと返済できない。それまでの実績があるためか審査はすんなりと通り、負債総額は3千万に達する。
売上の減少はようやく底についた感があるが、返済のためには足りない。しょうがないので単価が安い仕事も出来る限り受けていく。ただでさえ業界全体で単価の低下が著しいのに、その相場より安い仕事を受けていてはペイしないのだけど、とにかく売上をたてねばと強迫観念に駆られるように安い仕事を受注していく。
それでも、暮れにはいよいよ返済が難しくなり、リスケジュール(返済の延期)を申し込んで返済の軽減を図る。これもバラ色の適当な事業計画書を書けばすんなり通る。厳しい状況は変わらないが、ギリギリのところで潰れないでいけそうな雰囲気になり始める。



しかし、10年に入ってすぐ、独立前から取引のある古い取引先が跳ぶ。焦げ付き150万。自転車操業の今、その金額の余裕はもちろんない。
キャッシングやビジネスローンを限度まで借入れ、売れるものは片っ端からヤフオクで売った。しかし、もう金はない。どこにもない。とうとう今月の給料が払えない事が確実になり、弁護士に相談。もはや破産しかないとの結論に達する。



創業から8年。零細制作会社ではあるけれど、それなりに名のあるサイトも手がけてきた。ショップも代行業もそれなりに支持され、リピータの多いショップになっている。それなりの実績と信用を得てきた。しかしもう、潰すしかない。
てな具合で、どうしたって感傷的になるんだけど、そうはいっていられないわけですよ、毎日督促の電話かかってくるし、社員の身の振り方だって考えなきゃいけないし、この在庫の山をどうするのって話もある。そうそう、私がこの後どう食っていくかって話も忘れちゃいけない。
というわけで、感傷に落ちようとすると現実に食い上げられる日々を、ブログという形でメモっておこうと思います。
ああ、本当に会社潰しちゃうんだなー、と、まだ言ってたりする。
ふう。